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- 2016.04.21 Thursday
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Instagramがご縁で、ラホールを中心に活動する若者のバンドに会いに
クイーンズロードにある彼らのスタジオを訪れてきました。
自称パキスタンで最も若いバンド Music Waves のボーカルWahaj君が
ラホールで何やらあちこち歩き回って写真を撮っている日本人がいる…と
Instagramで私をフォローしてくれて、スタジオに遊びにおいでと
メッセージをくれたので、遠慮なく出向いてきたのでした。
紙製の卵パックを手作りの吸音材にした可愛らしいスタジオです。
彼らのコンセプトは「幸せな笑顔を人々に」だそう。
ちょっとコケティッシュな、コメティーバンドを目指しているのでしょうか?
近ごろ彼らは「Banain Meri Wadiya(俺のランニングシャツはいかすぜ)」という、
パンジャーブ語でユーモアあふれる詩を書いているAnwar Masoodという詩人の
作品に曲をつけて歌っています。一度聞くと、意味もわからないのに
何やら頭の中でぐるぐると際限なくヘビロテし始めてしまう面白い曲です。
パキスタンといえばカッワーリ(Qawalli … スーフィズムの伝統的な集団歌謡)。
日本でも知る人ぞ知るキング オブ カッワーリNusrat Fateh Ali Khan(故人) の
故郷フェスラバードで彼の家の近所に住み、幼い頃に彼の生の歌を聴いていたという
羨ましい音楽環境で育ったWahaj君はチャラい見かけに反し
色んな楽器や音楽に精通しており、今後がたのしみです。
パキスタンの若者はインド映画やインドポップスに夢中で
あまり自家製のポップスには興味ないのかなぁと思っていましたし
私自身もあまり関心を持っていなかったのですが
こうしてご縁を持つことで、またいろんな事が見えてきます。
彼らがどれくらいの市場を持ち、どうやって曲を作り、
どうやってそれで食べていけてるのか…などなど興味は尽きません。
何に対しても、まだまだ聞き齧り程度の浅い知識しかない私ですが
ウルドゥー語をちゃんと勉強し、パキスタンのサブカルチャーにも
どんどん目を向けていけたらと思います。
新疆ではスープワンタン「チュチュレ」のスープに、ラホールでは豆のカレーにと
日々の食卓に頻繁に登場するヒヨコ豆。私も好きで常備しています。
また先の正月休みに帰国した際、クックパッドで「ヒヨコ豆で作る豆腐」というのを見て
ジューサーさえあればいとも簡単にお豆腐が作れるのに感動し、何度か作ってみました。
こちらでも夏までにジューサーを購入して冷奴を作ろうと企んでいます。
普段は乾燥したものを一晩水に浸して使いますが
週末にオールドシティーを散策していたら
鮮やかな緑色のヒヨコ豆を見つけました。
ちょうど、今が旬のようなのです。
小さな可愛らしいサヤに豆が一つか二つ、入っています。
「これで豆ご飯作ったら、美味しそう」
同行していた日本人の友人の発案で、サヤ入りのをすこし買い求めてみました。
しかし、いちど剥けば中から数個は出てくるエンドウ豆と比べると面倒です。
親指の爪を緑色にしつつ、無心で剥きました。
あとは元料理人の友人がササっと調味して鍋を火にかけると…
あぁ、なんとも美味しそうなヒヨコ豆ご飯が炊き上がりました。
せっかくだから春を満喫しながら食べようとおにぎりにして
同じく旬の菜の花の炒め物やラディッシュのサラダも作り
友人宅から歩いて行ける公園でピクニックをしてきました。
お料理上手で手際の良い、素晴らしい友人に感謝です。
春の青空に燃えるように咲いていたコットンツリーの大きな花も
そろそろ落ち始め、ラホールの季節は徐々に夏へと向かっています。
残り少ない春の日々、積極的に外に出て有意義に過ごしたいと思います。
このところ不愉快な出来事に遭遇したり
寮の女の子たちが毎日深夜にうちの部屋のドアの前や窓の外で騒いで
安眠が妨害されるなど、何かと憂鬱になることが続いている上に
自分のこれから先の見通しが立たなかったりして
なかなか調子が出ません。
インスタグラムに#絶賛嫌パキ中 なんてハッシュタグを立てて
愚痴をこぼしてばかり。
しかしずっとこのドンヨリ感を引きずってしまっていてはいけない。
そういったことを呼び寄せてしまっているのは
きっと自身の疲れや弱さですね。
明日から、はや三月。
背筋を伸ばし、無理にでもにっこり笑顔つくって
春風をきって颯爽と歩いていきたいと思います。
ラホールはもう、アイスキャンディーの季節です。
古い「地球の歩き方」からのメモ書きより
イスラム教徒のうち、各種の修行やコーランの読誦、あるいは瞑想などによって神との合一をはかろうとした人々をスーフィーと呼ぶ。彼らは教団を組織し、イスラム教の布教に務め、インド文化圏内でのイスラム教の拡大には特に彼らの手に負うところが大きい。
民衆に大きな影響を与え、あるいは奇跡を起こしたとされるスーフィーは聖者として崇められ、また他にも徳のあったムスリムや伝承上の人も聖者として扱われている。聖者が死ぬと信者や後継者の手によって墓が、その上に墓を守るように建物やドームが作られた。これがダルガーと呼ばれる聖者廟である。
そのうち墓崇拝も加わり、墓や建物全体に聖者の徳や呪力が宿ると考えられるようになり、人々は現世利益を祈りにダルガーを参拝するようになった。ダルガーの本堂では中心になっている墓に対し決して尻を向けてはいけないしきたりになっている。ゆえにダルガーの本堂に入ると、参詣者は墓を中心に時計の針とは逆回り、本堂から出る時は後ずさりするように出る。